- Mikiko
そこには誰もいない ~本当のわたしとは何者か~
最終更新: 2019年6月13日
20世紀を代表する覚者の一人に、ニサルガダッタ・マハラジという人がいます。
彼は先生から「あなたは至高の存在である」と言われ、自分へのフォーカスから離れられなくなり、その結果約4年くらいで『そこには誰もいないかつ、すべてである』を直接体験したといわれています。
『そこには誰もいない』ということをお話すると、
たいていの方は怪訝な表情を浮かべます。
「では、ここにいる自分とMikikoさんとは、何者なのですか?」
「私には、自分もMikikoさんもいるように見えるのですが?」
そんな疑念が見る見るうちに表情に現れます。
Mikikoも先生から『そこには誰もいない』と言われた時、
非二元的な意識に目覚めている人には、わたしに見えているような別々の肉体が見えないのだろうか…と思ったものです(笑)
でも、もし肉体が見えないのだとしたら、大変ですよね!
普通に生活することは難しくなるでしょう。
映画の透明人間みたいに、食べたものを消化する過程も透けて見えるなんてことも起きかねないですね。
『そこには誰もいない』というのは、Mikikoの存在や、これを読んだり聞いている人の存在が煙のように揺らめいて消えてしまうことではありませんし、誰の存在も否定するものではありません。
分離して個別に存在する個人や、全体から分断されて単体の存在としてある私はいない、
ということです。
無論、身体が消えたり、透明人間になることではないのです。
エゴは言います。
「私が」「私の」…と。
こういう時の私とは、間違いなくこの体に閉じ込められて、単体に独立して存在する私という実態があるということを信じて疑わない言い方です。
『私』があり、『私以外』があるという思考意識の世界観を疑うことなく、
多くの人は育ち、人生を過ごしてゆきます。
もちろん、Mikikoもそうやって『私』や『私の人生』をどうにかしなければいけないとあれやこれやに取り組んできました。
けれど、はっきり正直にいうと、それは錯覚ですし、間違いです。
では、ここに確かにいるように思える私は誰ですか?
そんな問いが浮かんできたなら、それはとても素晴らしいことです。
わたしとは誰なのでしょうか?
わたしとは何者なのでしょか?
この体でしょうか?
頭の中で際限なく繰り返されるこの声のような思考でしょうか?
何年何月何日に、どこどこに生まれて、こうやって育って、好きなものはこれで嫌いなことはあれで、今はこのような信念や志向を持っていて、このような仕事をしている者である、という、テキスト化できるようような自己紹介的なものが、わたしでしょうか?
言葉で表現できる私は、私についての物語で、本当のわたしではありません。
とすると、自己紹介的なものはすべて本当のわたしではないことになります。
それは、その人に現れて消えていく特徴、質ではあるけれど、その人そのものではありません。
エゴは答えを性急に求めます。
答えをつかめないことは、エゴにとってはストレスですし、ましてや自分が誰かわからないなんて、エゴには我慢ならないのです。
Mikioの先生は言いました。
『答えのないこの問いこそが唯一有効な問いであり、そして、いつかこの質問自体がなくなる時がきます』と。
焦らず、目を閉じて、わたしを見まわしてみて下さい。
私についての物語 ―記憶、鏡に映った時の顔などのイメージ、自己紹介的な思考―がはじめは途絶えることなく浮かぶでしょう。
でも、これは本当のわたしではありません。
焦らずに、そのイメージや思考を押さえつけず、でも、それが本物のわたしでないことを忘れずにに、その思考やイメージが浮かんできていることに気がついている何かの方に、ゆっくりとレンズを向けるように静かにしてください。
疲れますか?
わたしもこうして黙想や瞑想をしている時、はじめは疲れました。
無理をする必要はないです。はじめは一日数回でも、数分でもいいですね。
でも、焦らず、あきらめず、わたしという個別の実態があるのかどうか調べてみることを続けてみて下さい。
Mikikoは、アドヴァイタのガイドを受け始めてから四六時中、これをしていました。
傍から見たら、ぼっとしているとか、目を閉じて瞑想ばかりしているように映ったかもしれませんが、わたしとは何者か?という問いかけが船頭のような役目を果たしていることを、Mikikoなんとなくわかっていました。
だんだん、目を閉じなくても、日常的な活動をしていても、ふと、これをしているのは誰?という問いが自然発生的に生まれて、答えのないまましばらく静けさや、何もない空っぽさを体験することがありました。
そこには誰もいないということに誤解が生じるように、
アドヴァイタや非二元のことには誤解がつきものですが、実はシンプルです。
本当のわたしを知りたい…、
そこには誰もいないという言葉が指し示す先を知りたい…。
このような願望が生じている方の船頭の灯に、このブログがなっていくなら、これ以上の喜びはありません。
次回以降、Mikikoの具体的な体験シェアしますね。
